名古屋の女子校にアイドルの原石を見つけた 1 :名無しさん@実況は禁止です@\(^o^)/:2014/06/06(金) 18:59:39.35 ID:ivAIKZYK0.net 椙山女学園中学校 高等学校 http://www.presidentfamily.com/details.php?pmid=146 http://www.presidentfamily.com/image/school/sugiyama/image_copy.jpg つづきはこちら PR
ニューヨーク・ハーレム地区を夢見る「あいりん」 1 :北村ゆきひろ ★:2014/05/29(木) 20:34:52.99 ID:???.net ホームレスが占拠する公園から小学校に通じる道路に汚れた作業服の男たちが座り込む。太陽はまだ高い。 小さな飲み屋から響く笑い声。小学校正門近くにも酔った男が腰を下ろしている。ところどころにアンモニアとアルコール、残飯の臭い。 3月にオープンした日本一の超高層ビル「あべのハルカス」から西北西に約2キロの大阪市西成区に 日雇い労働者が多く暮らす「あいりん地区」がある。 法案の国会提出で解禁へ期待を集めるカジノリゾート。大阪はカジノを特効薬に国際観光都市として飛躍を狙っている。 しかし、華やかなその青写真は同時に、昭和時代からなお残る課題に正面から向き合うことも求めている。 使用済みの注射器が小学校1年生の自転車カゴに捨てられていた-。 昨年12月に松井一郎大阪府知事あてに届いた住民からの陳情書で、薬物使用が横行する実態が浮き彫りになった。 小学生は注射器をおもちゃだと思い、駐輪していた児童施設のスタッフに渡したという。 小学校や中学校の構内に使用済み注射器が投棄されていたことも記されている。 「大阪府簡易宿所生活衛生同業組合50年誌」によると、1960年代初頭に約50万人だったあいりん地区の日雇い労働者数は その後の高度経済成長とバブル経済で89年に187万人まで膨らんだ。 労働者が寝泊まりする簡易宿所、通称「ドヤ」の数も89年にピークの210軒に達した。 20年近くに及ぶデフレで、日雇い労働者数は2009年には32万7000人に減少、宿所数も約90軒まで減った。 30年間にわたり西成区で働く高橋豊秋さん(66)は「あいりんは、かつては労働者とアウトローたちの町だった。 労働者は高齢化し、その数も減った。道に立つ覚醒剤の売人も少なくなったが、その問題は今も残る」と話す。 松井知事はブルームバーグ・ニュースの質問に対し、「大阪のど真ん中にあるあいりん地域がニューヨークのハーレムのように変われば この地域の可能性、ポテンシャルが大阪の成長に好影響を与える」と回答した。 同知事は「あいりん地域で覚醒剤の撲滅などに取り組み、環境改善を進める。各国からより多くの観光客を大阪・関西に 呼び込むとともに、大阪のIR(統合型リゾート)構想や、鉄道ネットワークの整備などの都市開発を進める上でも 最重要課題の一つ」と決意を示す。 デューク・エリントンやジェームス・ブラウン、マイケル・ジャクソン、ローリン・ヒル。華々しいエンターテイナーを輩出してきた コットンクラブやアポロシアターで知られるニューヨーク市ハーレムは、米国の音楽文化を熟成させてきた一方、人種問題などをめぐって 揺れ動いてきた。 ハーレムを紹介するホームページ「Welcome to Harlem」によると、ジャズやブルースのメッカとしての名声を確固たるものとした 1920年から30年が過ぎ、アフリカ系が人口の多くを占めていたハーレムでは、社会暴動が頻発し犯罪率は上昇、治安が悪化した。 マーチン・ルーサー・キング牧師暗殺の後に起きた68年の暴動は有名だ。 動乱の過去を経て90年代に入ると「ハーレムルネサンス」といわれる時代が訪れる。 企業家や投資家、そして先進的な住民たちはハーレムの再開発に傾注する。犯罪率も低下した。 現在では不動産価格は上昇、人口動態も多様化、新たな「ハーレムラッシュ」が到来している。 つづきはこちら
「つちのこフェスタ」を開催 1 :幽斎 ★@\(^o^)/:2014/05/23(金) 16:06:44.04 ID:???0.net 「つちのこフェスタ」を開催=岐阜県東白川村 http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2014052300224 http://www.jiji.com/news/kiji_photos/0140523bo01_t.jpg 未確認生物「ツチノコ」の目撃情報が多く寄せられている 岐阜県東白川村で、毎年恒例の「つちのこフェスタ」が開催された。 発見すれば賞金125万円が贈られることもあって、 約500人もの親子連れらが参加。網や棒を片手にツチノコを探し、歓声を上げた。 村によると、村内でツチノコを目撃したとの証言は 1934~90年の間に20件寄せられた。特に87~88年に7件が集中したため、 地域おこしに活用しようと89年にフェスタを開始した。その後もツチノコは発見されておらず、 賞金は当初の100万円から毎年1万円ずつ積み増されてきたという。 村によると、ツチノコは体長約30~80センチ。黒っぽい色で、 わらをたたく木づちに似ていることから名付けられ、4~11月の昼間に単独で行動するという。 村の担当者は「ツチノコが発見されてもされなくても、 今後も地域おこしに活用していきたい」と話している。(2014/05/23-10:03) つづきはこちら