【奈良】卑弥呼の後継者、台与の墓説がある西殿塚古墳に巨大な石積み方形壇 1 :brown_cat ★@転載禁止:2014/04/09(水) 12:57:27.69 ID:???0 奈良・西殿塚古墳に巨大な石積み方形壇 卑弥呼の後継者、台与(壱与とも言う)の墓説があり、宮内庁が陵墓として管理する奈良県天理市の西殿塚古墳(3世紀後半~4世紀初め、前方後円墳)の 前方部頂上に巨大な石積みの方形壇が築かれていたことが8日、宮内庁への取材で分かった。 卑弥呼の墓ともいわれる箸墓古墳(同県桜井市、3世紀中ごろ~後半)の後円部上にも石積みの円壇があり、埋葬施設を覆う特別な施設とみられる。 2012年に盗掘され宮内庁書陵部が調べていた。ほとんどが陵墓として立ち入りを制限されている大王墓の構造を考える貴重な手掛かりになりそうだ。 書陵部によると、西殿塚古墳前方部の方形壇は一辺22メートル、高さ2.2メートル。中央部が東西2メートル、南北1メートルにわたって盗掘され、 墳丘を覆う葺(ふき)石と似たこぶし大から人頭大の石が大量に見つかった。さらに下にも石が続いており、壇全体が石積みだった可能性が高いという。 方形壇はほかの古墳にもあるが、大半が土壇で、石積みはほとんど例がない。 西殿塚古墳は全長230メートル。宮内庁は6世紀の継体天皇の皇后、手白香皇女の墓に指定しているが、研究者の間では箸墓古墳の次に造られた大王墓と推測されている。 後円部にも一辺35メートル、高さ2.6メートルの方形壇が築かれており、後円部と前方部にそれぞれ埋葬施設があるとみられる。 5 :名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/09(水) 12:59:59.32 ID:YPOev1mr0 このスレは伸びると思う 6 :名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/09(水) 13:01:14.93 ID:fs0FEyzN0 萌え美少女好きはこの頃から始まっていた 8 :名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/09(水) 13:02:57.75 ID:21sQyjU90 > 2012年に盗掘され さらっとすごいこと書いてるな。最近じゃないか。 24 :名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/09(水) 13:13:42.68 ID:EoBXfZUx0 台与の墓かもって言うけど、邪馬台国が実在した前提での話だな(´ω`) 45 :名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/09(水) 13:28:32.43 ID:J3s7Jvqs0 卑弥呼、日巫女 卑弥呼は個人名でなく役職名説ってどうなってんの? 個人名・役職名派の割合って今どんなもんよ 47 :名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/09(水) 13:30:34.73 ID:mjeBspo10 日本史最大のミステリーを教えてやるよ。 平城京の北側に平城天皇陵があるんだけど、 この天皇陵は平城京をつくるときに半分が壊されている。 都を作るのに自分の先祖の墓を破壊するなんて恐れ多いことをしてたのか ミステリーだ。と思った奴は甘い。平城天皇は800年代の人なのが本当のミステリー。 48 :名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/09(水) 13:33:52.55 ID:icSTtSgI0 『卑弥呼』とは何だ?…卑しいと我は呼ばられる、 そんなのは、中国人が北狄とか南蛮とか下品に付けた漢字だろう 『ヒミコ』とは『日御子(太陽神の子)』と書くのが正しい。 ついでに言うと 『倭』も小人妖怪の意で中国人が付けた漢字、『和』と書くのが正しい。 49 :名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/09(水) 13:34:13.88 ID:z6j8LJls0 >>47 宮内庁「こっ、古墳がタイムスリップすることだってあるわよっ」 56 :名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/09(水) 13:44:32.95 ID:vln6z2Wa0 >>48 どう書くのが正しいって超意味不明w 漢字は中国の字なんだから中国人が書くのが正しいに決まってんだろ 日本だかヤマタイだかには文字自体無いんだぞ 正しく書くも間違って書くも、それ以前にそもそも書けないじゃんw 57 :名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/09(水) 13:46:23.48 ID:vUErFjqf0 >>56 漢字はなくても言葉はあったからな 訓読みでよめ 68 :名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/09(水) 14:07:28.93 ID:vZLwJlqx0 保護して調査しないうちに盗掘されるとかw 99 :名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/09(水) 16:02:42.15 ID:8Jy/VOd+0 確か、考古学マニアが盗掘したのだったかな。 天皇陵は発掘できないから、何とか知りたいって思っているマニアは多いからね 109 :名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/09(水) 16:20:14.99 ID:8Jy/VOd+0 >>48 卑弥呼との蔑みに満ちたアテ字は、非中原の国を蔑む 中華思想に基づくもので、中国の歴史家が欲やっている事だ 卑弥呼=日御子の説に関しては、その名は男性になるだろう 女性であればあえて言えば日比女(ひひめ)ってなるはずだ おかしな呼び名でありえないでしょうが。 多分、ヒミコはヒメミコという尊称がなまったものだよ そもそも当時の日本では、太陽神信仰は伊勢などに限られる ローカル信仰であり 現在の天照信仰のような、中心的なものではなく ヒミコを日の御子とする考え自体もおかしいのよ 113 :名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/09(水) 16:28:04.96 ID:9Fuj2DXn0 いまだに邪馬台国九州説を信じてるアホはいないよな? 157 :名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/09(水) 17:20:56.00 ID:ti/HqlnO0 >>113 魏志倭人伝だと奈良は無いな。 159 :名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/09(水) 17:21:45.97 ID:LK6LKXHc0 >>157 結局四国だな 173 :名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/09(水) 17:34:38.63 ID:ti/HqlnO0 >>159 四国は有り得ない。 >南に水行10日と陸行1月で女王の都のある邪馬台国に至る 四国に渡るなら東に水行となるはず 181 :名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/09(水) 17:45:14.84 ID:0hEhQBqt0 九州説で良い。 つまり、邪馬台国と近畿ヤマト政権とは全く無関係な別の政権と言うこと。 神武は東征したのでは無く、近畿ヤマト政権に招かれて行った雇われ店長だと 思われ。 邪馬台国は最終的には奴国と融合し、太宰府に倭京を作って滅んだ。 邪馬台とはヤマトであり、山門のこと。そこが発祥の地。 卑弥呼の時代に御井に移り、さらにその後 浅倉地方へ移り、最後は太宰府へ移ってそこで滅んだ。 卑弥呼の墓は御井の祇園山古墳で、魏志倭人伝の邪馬台国とは御井のこと。 182 :名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/09(水) 17:46:24.96 ID:EoABrwuq0 >>173 当時の大陸での方位は一点を指すのではなく範囲を指すんだったかな。 易の方位図みたいな感じね。 http://www.1fuusui.com/img/houi.jpg この図における「北東」「東」「東南」をまとめて東とする場合もあるわけでね。 この論争では現代人の知識、感覚で語りすぎたのも問題だな。 185 :名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/09(水) 17:52:56.40 ID:7WIjHWo00 >>183 なんかバカにしてるみたいだけど 淡路島から1世紀~2世紀までの日本最大級の 鍛冶工房跡が見つかってるんだぞ 鉄は力だぞ(´・ω・`) 199 :名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/09(水) 18:15:14.94 ID:0hEhQBqt0 伊都国を起点とする放射読みをする根拠は 東南陸行五百里、到伊都國・・・・ 郡使往來常所駐。 東南に陸行すること五百里、伊都国に到る。郡使の往来では常にここに駐留する。 これ。駐留したとあるのだから、そこを起点に放射読みするのは当たり前w (到と至がうんたらはかんたらはデタラメな説wそんな使い分けをした例は無いwwww) 水行十日陸行一月は水行十日陸行一日の写し間違い。 この根拠は、 1 そもそも陸行一月は物理的に不可能。当時は橋がろくに無いから、一月間陸行できる土地がそもそも日本に無い。 2 魏志倭人伝をほぼパクったと思われる梁書では「水行十日陸行一月日」と なっている。 223 :名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/09(水) 18:34:44.10 ID:hS9AA/Gj0 調査不可の古墳を宮内庁がOKしたら、今までの定説ぶっとぶようなことが色々とわかるんだろうか 225 :名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/09(水) 18:38:26.71 ID:Z/rEKfdZ0 >>223 盗掘済みでたいした事わからんのでは? 226 :名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/09(水) 18:39:43.48 ID:YWJGQuKQ0 >>223 地球の鍵穴が見つかってマグネットパワーが封じられてしまうからタブー中のタブー 227 :名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/09(水) 18:40:41.27 ID:7WIjHWo00 >>225 そんな気もするな 年数が年数だしね(´・ω・`) 369 :名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/09(水) 20:33:50.98 ID:RM7EJwUo0 古事記とか日本書紀みたいな、「文書」じゃなくても良いんで 木簡とか石碑とか、何らかの史料があればな・・・ 卑弥呼時代の日本も一応、中国と交易あったみたいだし 漢字を理解できる人間もいたはずだから、文字史料が残っててもおかしくは無い 古墳を全て発掘して、1個でも2個でも良いんで、卑弥呼の時代の史料が欲しい 390 :名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/09(水) 20:43:52.43 ID:PC0c5mUX0 邪馬台国は九州説で結論が戦前に出ているのに 391 :名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/09(水) 20:44:08.66 ID:YmBjzmHC0 というか「文字が無い」わけがない カタカナやひらがなはまだ先の話だけど感じの記録はされてるはず 稲荷山の鉄剣には文字が刻まれてるわけだしね 単に「残らなかった」だけだと思う 九州から関東にまで勢力圏をもっていた王朝が記録なしで成り立つとは思えないしね なにより中国と交流してるんだし 記紀が残ってるのも写本が作られ続けたからだしね 木簡や竹簡はすぐに腐る 394 :名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/09(水) 20:48:59.56 ID:n0ldcIL40 >>380 邪馬台国時代 卑弥呼の聖職者ラインと実際の統治している豪族ラインが並立 卑弥呼が死んで聖職者ラインが消滅して豪族ラインのみになり内戦 台与の聖職者ラインが復活して実際の統治している豪族ラインと再び並立 ~100年以上の空白~ 倭の五王時代時代 完全に王権一本化 わかりづらいがあなたの仮定だと卑弥呼のラインが天皇家になったと仮定するわけだよね? 祈祷とかいかにも天皇家につながる仕事してるし でも倭の五王の時代は王権に一本化されてる そういう意味で並立してた卑弥呼ラインは淘汰されたのではないかね? 396 :名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/09(水) 20:52:14.86 ID:YmBjzmHC0 古代史の流れ 弥生時代には吉備、出雲、九州、近畿などを中心に、 様々な墳墓、銅鐸や銅矛などが作られた それが近畿から発展的に成立した前方後円墳一色に染まり、 各地の墳墓や銅鐸、銅矛が消え去り古墳時代が到来する これらの前方後円墳の分布の流れは四道将軍の遠征の動きとも重なる この流れから考えると近畿に勃興した前方後円墳勢力が、 日本の大半を征し弥生時代を終わらせた と読み取れる 史書の流れともだいたい一致する 古代史は何もかもが謎だと思ってる人が多いけど意外とそうでもない 490 :名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/09(水) 21:37:05.20 ID:YmBjzmHC0 ギリシャ神話も暗黒時代の到来で記録が消え去った 華やかで先進的だったミノア、ミケーネ文明の時代を神話として伝えてる物だしな 日本の古代史も同じように記録のない時代を神話として伝えてるわけだからな そしてそれが現代にまで続いてるとかロマンチックな話だな 日本は神話がまさに今でも生きる国だな 491 :名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/09(水) 21:37:42.77 ID:ol3kk5pd0 日本書紀のとおりでいいよ。 卑弥呼は神功皇后、邪馬台国は大和国。 九州?なにそれ? 498 :名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/09(水) 21:43:20.24 ID:v5jjsWZp0 邪馬台国も大事だろうけど、空白の3世紀はどうなってるの? 502 :名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/09(水) 21:45:44.49 ID:n0ldcIL40 >>498 分からない 邪馬台国からヤマトに移行したのは間違いないが 邪馬台国=ヤマトなのかもなんとも言えんね 多分そうだとは思うけど 528 :名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/09(水) 21:58:54.41 ID:bzwmXrTa0 鯨面獣身とか、貫頭衣とか、素もぐりとか書いてあるんだけど 福井は冬寒くねぇか? 奈良は生駒や熊野越えて海産物運んでたのか? 水銀が取れて、酒作って、鉄作ってるって書いてあるんだけど 九州に鉄を作る為に膨大に切り取れる森と、酒が作れる程の米どころが 近所にある場所ってあるの? 535 :名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/09(水) 22:03:11.12 ID:icFWXunWO 全部の古墳を調査しなよ。 何が怖いのさ。 577 :名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/09(水) 22:53:37.63 ID:isPW6Oev0 ローマ帝国ものとか三国志、キングダムを読んでいると 紀元前から卑弥呼のいた時代のローマや中国と比べると 日本の文化レベル、国力共に低すぎて 天皇が日本を2500年以上統治していたという話が嘘くさいんだよな。 朝鮮人や中国人が武力で日本を侵略して 卑弥呼が率いるクマソとかツチグモとか 日本古来からいる本来の民族を征服して 天皇を名乗って自分たちの都合の良い歴史に 書き換えたのではないかと思えて仕方がない。 紀元前の時点で10万の兵士を動かせるような国に侵略されなかったというのが どうも信じがたい。 616 :名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/09(水) 23:31:53.62 ID:qtOaorlaO 一ヶ月間、休まずスタコラ進むとは書いておらんし。 川にぶつかったら上流まで移動したりイカダを作ったりして、 ロスタイム含めて一ヶ月間かも知らんし。 630 :名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/09(水) 23:40:14.44 ID:LHi6FpyR0 九州説の一番の弱点は人口構成があわないことだよ。 奴国ー福岡ー二万戸は確定として、 その下に投馬国ー五万戸 さらに邪馬台国ー七万戸 つまり九州に100万人の人口が集まっていることになり、おかしいんだよ。 631 :名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/09(水) 23:41:32.85 ID:6umW2QBT0 狗奴国は熊本の球磨(くま)地方だろう 723 :名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 01:22:38.56 ID:mElJAunm0 >>630 それよくあるウソ。 当時は九州と近畿とはだいたい同じ程度の人口だったことが分かっている。 810 :名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 02:46:44.82 ID:Cvu+xEtV0 畿内説 邪馬台国への道程の記述は距離はあってるけど方角が間違ってる 九州説 邪馬台国への道程の記述は方角はあってるけど距離が間違ってる どちらも都合よく解釈してるだけだね 俺は邪馬台国への道程の記述は距離も方角もあっている すなわち邪馬台国とは現在は海に沈んでしまったムー大陸説を推したいね 843 :名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 03:02:39.70 ID:Cvu+xEtV0 他にも魏志倭人伝に記されている邪馬台国の風習 ・刺青 ・泣き女 この2つが日本の風習から消滅したのは何故なんだろう やはり邪馬台国は海の底に沈んでしまったとしか考えられない 977 :名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 04:09:23.76 ID:GxNysuhA0 時系列的には、 もともと古代の日本には嫁入りがなくて、 必然的に母系の部族社会が形成されてて、 それが南方から渡来した人達によって、 稲作や航海術が伝わって、 農耕技術の発達とともに、 半島南部まで活動域が広がって、 出雲で嫁入りが行われるようになり、 大和でも嫁入りで皇族が形成されて、 半島や大陸との交渉の過程で、 古来の巫女による祭祀はマツリゴトの場から遠ざけられて、 伊勢に移転したとかなったんと違うか。 結果として、 高貴なる皇族の男系始祖は旅をしてきて、 皇族の女性が伊勢に行って斎宮を務める。 983 :名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 04:14:45.93 ID:1gxVQq5Y0 >>971 刺青が無くなったのは、素潜り漁が減ったとか、刺青なんて入れてたら、 一歩間違えたら破傷風で苦しみぬいて死ぬ時代だったからだと思う 魏志倭人伝に記された様な、鯨面獣身やってる国民がいる国なら、 海が近くないとありえねえと思ってるんだけど、そこなんだよそこ 986 :名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 04:17:20.28 ID:PBvwNJ5y0 >>983 旅の途中で見た漁民を大げさに書いてるだけじゃね? あと中国では額への刺青は罪人の証 そういう意味で蛮族を貶めた可能性もある 卑弥呼が刺青入れてたとかそういう話がないし 989 :名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 04:19:50.38 ID:1gxVQq5Y0 >>986 漁師が刺青入れるのは、鮫避けって意味があるからまだ分かるんだよね で、大げさって言い出したら、鏡100枚やったったぜ。だって大げさな可能性がw 999 :名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 04:24:35.88 ID:PBvwNJ5y0 タイムマシンができたらいいのにな 歴史談義は盛り上がりますね~ 結論が出ないほうが盛り上がる。九州か近畿か!知りたいが知りたくないw PR